善行無轍迹 ぜんこうは てっせきなし [一点素心を磨く]
善行無轍迹 ぜんこうは てっせきなし 最も良い歩き方は、歩いた 跡を残さないことであるといいます。
ネットで調べたら、続きの文がありました。これは知らなかったので、勉強のためコピーします。
真によく行くものは、わだちや足跡を残さない。
真によく言うものは、言葉にキズがない。
真によく数えるものは、計算のための道具を用いない。
最善の戸締りは、かんぬきをかけなくても開けられることはない。
最善の縛り方は、縄で縛ることなく解くこともできない。
そこで聖人は常によく人を救いあげて[活かし]、どんな人も見捨てない。
常によく万物を救いあげて[活かし]、どんなものも見捨てない。
これを明知を身につけているという。
かくして、善人は不善人の師となり、不善人は善人の助けとなる。
おのれの師を貴ばず、おのれの助けを大切にしなければ、
知恵者であっても大いに迷うことになるだろう。
これを要妙[奥深い人知を超えた真理]という。
では何が、真善なのか?私には分かりません。
しかし芸道に身を置いているなりに、言えることがあります。
それは、
「初歩の一手の無駄を省いたものが、奥儀であるということ」。
ですから真善は、日常の小さなことの積み重ねの先に、あるのではないでしょうか?
ある日、高速道路サービスステーションでのこと。トイレのボックスに入ると、前に入った人の財布と小物入れが、置かれていました。
私がトイレの外で様子を見ていると、老紳士が走ってきます。私はゆっくり後追うと、さっきのボックスの前で困った様子でした。(既に次の人が使用中)
私は「何かお困りですか?ほらっ!」と、後ろに隠していた財布を見せました。
紳士は、「年を取ると忘れっぽくて、困ります。ありがとうございます」。財布を受け取ると、そこから出したお札を私に渡そうとして「何か飲んでください」と恐縮した表情です。
私は「けっこうですよ」と踵を返して、立ち去りました。当たり前すぎて、なんでもないことです。問題は、積み重ねです。







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