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雪中送炭 援助について [素心]

雪中送炭

 「雪中送炭」(せっちゅうそうたん)とは、「人が最も困っているときに援助の手を差し伸べる」という意味の成句です。私が35歳で嫁を迎えた時、祝賀の席の挨拶で使いました。

 「今日を迎えられたのは、皆様に雪中送炭していただいたお陰です。これからは、私が雪中送炭できる身にならなければならない」、そのような趣旨を話しました。

 あれから20年経ちましたが、いまだに間違いを繰り返してる自分について、考えたいと思います。援助をいつ始め、いつ止めるか、それは難しいです。

真逆は

 あれは雪中送炭の真逆だな、そう思い出す例です。初夏、その春に生まれた子猫を連れた野良猫が、出回ります。昔、隣に住んでいた親父さんがそれを可愛く思ったらしく、毎夜エサを与えるようになりました。

 当然、集まる猫は増えます。それでもエサを与えました。本人はさぞかし功徳を行う信心深い人間と、思い上がっていたことでしょう。彼はある教団の熱心な信者でした。その化けの皮は、冬になると剥がれることになります。

 厳冬の時期を迎えました。エサの時間になると猫たちは、「早くエサをくれないと、凍えてしまうよ!」と、いわんばかりの鳴き声を上げるようになりました。「ミャー!ミャー!」。「ミャー!ミャー!」。寒そうな鳴き声が、あちこちで響き、近所迷惑も甚だしいことでした。そして隣りの親父さんがしたことは?

 その夜も野良猫は集まって、「ミャー!ミャー!」鳴いていました。親父さんは「イケーッ!」と怒鳴って、バケツ一杯の水を、猫達の上にブン撒いたのです。猫は「ギャーギャー!」けたたましい泣き声を上げて、逃げ去っていく音が聞こえました。

 しかし悲しいことに猫たちは、親父さんがエサをくれることを、信じていたのです。その翌日の夜も、猫はエサの時間に集まっていました。すると親父さんは非情にも、「イケーッ!」と怒鳴って、バケツ一杯の水を、猫達の上にブン撒いたのです。また猫は「ギャーギャー!」けたたましい泣き声を上げて、逃げ去っていく音が聞こえました。

 同じことを何日か繰り返し、野良猫が隣りの家に集まることは、なくなりました。

 親父さんは、自己満足を求めていただけで、それを飽きておっ放り出したのです。これでは援助になりません。

雪中送炭の理想形は

 親父さんの誤りを、正してみましょう。

1、そもそもエサをやること自体誤りですが、援助は「已(や)むに已まれぬ時」、必要最小限にすべきです。

2、いつ?春と夏はふさわしくありません。最も困る厳冬期こそ、援助すべきでした。

ここまでできたとしても、この次が最も困難な課題です。

3、いつ?援助を止めるかです。時機を誤るのが人というもので、その原因は「同情」です。春を迎えたら、援助は止めるべきで、夏まで待つと成長の芽を止めてしまいます。

援助を止めることの大切さ

 親父さんと猫の思い出話をしましたが、人に援助の手を差し伸べることの難しさを、理解するためです。 

 1995年来、デフレ不況が続きました。道場生にも、職業を持てない若者が見受けられます。これまで私は、何人かに仕事を与えて、失敗してきました。といっても必要な失敗かも知れません。

 働き場がない、こんな惨めなことはありません。そこへ仕事を提供する。最初は「本当にありがとうございます」、感謝しています。

 やがて馴れてくると、「もっと金が欲しくなる」。それは人間の当然の欲求で、良く制御すれば向上心の源です。制御できなければ、公徳心は薄れ、悪い本性を現します。残念ですが金銭・就業時間・交際関係に、問題を起こします。

 一回目、注意する。「分かりました」と反省する。受け入れる。

 二回目、注意する。「大変申し訳ないです」と平身低頭する。受け入れる。

 しかし、これが間違いです。ここで、もう止めなければならない。しかし同情して、止められないのです。

 三回目、四回目と続くものなのです。やがて嘘とごまかしの関係になります。

 そういえば「二度あることは三度ある」、昔の言葉は真理です。しかしそれを実践できない誤りを、繰り返してきました。与えているだけでは、援助になりません。今後も難しい課題です。


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