合気道楽心館、明るい高齢化 [世阿弥]
わが国の人口構成の変化に対応して、合気道楽心館も高齢化が進んでいる。写真は八王子道場。なにもスキンヘッドの人を、選んで集めているのではない。
自然と額(ひたい)が、知らぬ間にどんどん広がっていく方も、そちこちに見受けられる。


ところがどうであろう。私がそのようなことを言おうものなら。この写真右側のTさんは、次のように明るく切り返してくるだろう。
「先生、それは額ではありません。頭のてっぺんに過ぎませんよ」と。
なにしろTさんは70歳を過ぎてもプラス発想。既に一度ここでhttp://blog.so-net.ne.jp/ichirakusai/2007-07-22登場している方。
そうですね。額が頭の後ろまで広がろうが、稽古の世界には関係のないこと。
世阿弥は「五十有余。この頃よりは、大方、せぬならでは手立あるまじ。麒麟も老いては駄馬に劣ると申す事あり。さりながら、まことに得たらん能者ならば、物数は皆々失せて、善悪見所は少なくとも、花は残るべし」。
「せぬならでは」ここが凄いことを言っている。何もしない方法を取りなさい。それでも残る花があるべきである。華やかな技術が使えなくなり、「麒麟も老いては駄馬に劣る」と陰口を言われるようになっては、芸人として能がない。まことに得たらん能者ならば、華やかな技能が消えうせても、何もしない方法を取ったとしても、聴衆を感銘させるだけの花を持たねばならない。そう言っているのだ。
枯れぬ花、老骨に残りし花。それは何か?
我々にしてみれば、技術的な巧緻を狙わず、初歩的基本を失わずに歩む。真一文字の一、一致の一で心楽氣和。
掟と誠実 2 [世阿弥]
さて、こんなこといっている御仁も、あるのではないかな?「遊びは芸の肥やし。世阿弥は生真面目で芸幅が狭いのではないか?」と。私は半分同意し、半分反対したいと思います。
同意とは、これが世阿弥らしさということです。彼は「非道を行うべからず」と言います。猿楽とは関係のない諸芸(和歌を除く)を、学んではならないと言うのです。このとき既に世阿弥は、猿楽を「此道(この道)」と呼び、「道」思想の上に乗せています。世阿弥にしてみれば、猿楽はそんじょそこらの芸とは格が違うのです。まして遊びが、芸の肥やしになることはなかったのです。
次に反対意見です。世阿弥は一門の長ですから、その立場から考えてみたいと思います。背景は、時の政権の庇護を受けるために、他門と争っていたことが想像されます。内心は戦国武将と同じではないでしょうか?甲斐の武田節がその気持ちをよく、表しています。
祖霊ましますこの山河
敵にふませてなるものか
人は石垣人は城
情けは味方仇は敵 仇は敵
この後半が、全てを説明していると思います。外からの攻撃に対しては、内部の者は結束すればなんとか対抗することが出来る。だから「情けは味方」で、「人は石垣・城」にもなりうるのです。
ところが内部の争いが起きた場合、何をもって対抗することが出来るでしょう?外からの攻撃もないのに、それで負けです。だからこそ「仇は敵」、内部の争いこそ最も手強い敵なのです。
古人の掟に反し、分別を失った人を内部に抱えることを、世阿弥は恐れたのだと私は思います。

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掟と誠実 [世阿弥]
八王子での稽古の前に、指導員のTさんに話しかけられた。「自分でも練習しているけども、どうしても先生のとおりにできません。どうしてだか?教えてください!」と言う。
私は、「あなた様ならご無理ざんしょ!」と、つけ離して答えた。すると「どうしてですか??」と、生真面目な目で応えて来た。私は思う壺だといわんばかりに、ほらこれをご覧なさい!と、風姿花伝を開いて見せた。
Tさんは訝しげにそれをよむと、ワッハッハ!大笑した。
「本当だ!全て僕に当てはまる!僕は出来ないはずだった!」と言って笑っている。さて私は風姿花伝のどこを、読ませたのでしょう?
「芸人の掟
一、好色・博打・大酒。三重戒、これ古人の掟也。」
男衆には魅力のあることばかり。かたや一座をまとめる世阿弥からすれば、統制を乱し稽古の上がらない原因の筆頭だったのだろう。風姿花伝は息子のために書いた伝書。掟を息子宛にも厳しく諌めたのだ。一座の長として父親として、生身の人間臭さが伝わってくるような気がする。そしてそれは、本質を突いてもいる。
毎日、コンプライアンス・ガバナンスという言葉が飛び交っている。企業統治も原点は人の統治のはず。世阿弥の時代も今日も、根本に変わりない。在日本朝鮮人総連合会 中央本部(東京都千代田区)の差し押さえを免れようとして、土地建物の所有権を元公安調査庁長官(73)緒方重威(しげたけ)が代表を務める投資ファンドに移した事件があった。そして正義を体現すべき立場にあった緒方は、逮捕された。これから事件の背景が明らかになろうとしている。おそらくだがこれを踏み外したのに違いない、「芸人の掟 一、好色・博打・大酒。三重戒、これ古人の掟也。」をだ。
法令順守・企業統治。なんと言っても誠実さの一言に過ぎないのであろう。誠実に物やサービスを作り提供する、誠実な姿勢こそ。
さてTさんの話に戻る。Tさんは私より父親ほどに年上で、楽心館の恩人でもある。稽古以外では、軽い口を交わす気軽さもあってのこと。もちろん芸人の掟云々も、軽い冗談を言って楽しみあっただけ。一人稽古の大切さをアドバイスして、八王子の指導へと移ったのでした。

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玄関 6 せい花 [世阿弥]
写真はスズラン、家の北側に毎年5月に咲く。それを生けたもの。

商業写真家なら、こんな写真は撮らないと思う。なぜなら下から二つの花が、すでにしおれ始めている。
つい昨日生けた時には、みんな清々しく咲いていたのに。今日の姿は、痛ましくはかない。これでは、カレンダーのような商品にならない。
ところが世阿弥が見たならば、これこそ最高の境地、「せい花」ではないかと思う。せい花とは誠花。かつて、もし私達夫婦が女の子を授かったなら、「せいか」と命名したいと思っていた。
この主旨は、今が盛りの稟として咲く花の美しさのことではない。
「散る故によりて、咲く頃あれば、珍しきなり」。とは世阿弥の言葉。しおれもする。散りもする。それ故に咲く頃あれば、花は珍しきなり。散るも咲くも不二、一如。と言っているのだ。
さらに世阿弥は言う。
「善悪不二、邪正一如」
無常こそ常住、世は無常であることのみが、不変の真理。一場面のみを指して、人は正義だ、悪だと争いがち。無常にして全体の流れがどこへ向かうのか、それが大切。
芸を極め、栄華と奈落を体験した世阿弥こその言葉だと思う。
今日、イスラム教徒とキリスト教ユダヤ教徒の殺し合いが、益々エスカレートしている。自身が権謀術数の渦中にあった世阿弥が見たなら、どう思うだろう。「どちらにも正義はない。東洋的無常観からみれば、これはやりすぎだ」といいたいところだろう。が、それはできない。
なぜならタイ国南部で、仏教徒とイスラム教徒の殺し合いが、激しくなっている。もっと拡散するのではないかと危惧する。イスラム過激派の自爆テロの起こりは、テルアビブ空港連合赤軍の銃乱射と自爆。日本人がもたらした災いでもある。
全ての宗教と民族の起源は、不二一如一致と説いても届くまい。
宗教に関係なく人は生きているかぎり、飯を食わねばならない。仏教徒も家族を殺害されれば、銃を持つ。貧困をどうにかしないことには。
豊さと自治と民主主義の三位一体を、与えることが必要だと思う。一国経済に軍需産業の占める割合が高すぎるアメリカとロシア中国に対し、善悪不二邪正一如と言うつもりもない。世界のどこかで定期的に戦争があることで、景気拡大する仕組みになっている。個々の国民を責められないが、経済全体の流れが不健全。
経世済民の意味を経済として、和製漢字を作った我が国の思想は健全。この理想的あり方を、忘れてはならないと思う。
書生的な正論、行司ぶった態度をとることは容易でもある。風姿花伝や五輪の書は、すばらしい伝書。されど伝書。現実の世阿弥や宮本武蔵は、リアルな権謀術数に生きたはず。現状、中国・北朝鮮・ロシアが我が国へ核ミサイルを向けている。日米安全保障条約を基本に、我が国の外交力を高めていくのが基本と思われる。そのための法体系、産業構造をどうすべきか?国民のリアルな選択が待たれている。
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流れに乗せて [世阿弥]
時々の初心のありかは?
川で溺れた人のたとえがあります。元いた川岸に戻ろうとして泳ぐと、力尽きる。
ところが、身を流れに乗せて、たどり着けそうな川岸に目標を定めて泳ぐと、生還できる。そんな話です。
世阿弥の説く「時々の初心」とは、始めた頃の若き日の初めし心ではないという。身を流れに乗せてよいと、言うことではないだろうか?
楽心館のために粉骨砕身してくださった方々が、ご高齢にならた。忍び寄る老いと戦っているお姿に、ひたすら「賜ったご恩は生涯忘れませんよ」と、感謝するばかりです。
もう充分ですから、どうぞ流れに身を任せて、少しでもご自身を生かす場に立っていただきたいのです。
今日の蘇我の稽古を終え、今しみじみ、そう思いました。






