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稽古の成果は、三本の矢 [合気道 練習]

ずっと続ける

途中でやめたら意味がない

奥深い道だから

詩文のような美しい言葉を語ってくれたのは、6年生のK子さん、稽古歴三年、11月21日のことです。

K子さんの変化から、稽古の在り方を考えます。青少年の稽古の成果は、三本の矢が必要と考えます。

一本目の矢 稽古の質

一般に書道の臨書には、形臨、意臨と背臨とあるそうです。
形臨は、原本の形を真似る段階
意臨は、原本の意図を汲み取り模倣する段階
背臨は、原本を見ないで、作者の作風を自分自身のものとして書く段階

私が書道の手解きを受けた出水節子先生の話です。出水先生が墨絵を習っている時のこと、石を描く課題を与えられました。その時の墨絵の先生が説明したそうです。

形臨は、石の形を真似ること
意臨は、石の意図・気持ちを描くこと
背臨は、描こうとする石の見えない裏側、背後を感じて描くこと

私はその話を聞いた時、考えました。小さな紙は二次元。石は大きさ・表情・重量感がある。それを紙の上に表現する。見えない背後を描く気持ちを持つことで、奥行き・高さ・重さが出せるのではないだろうか?

書道と墨絵、説明の仕方は異なりますが、形臨を基礎としてそこから先、背臨を目標として稽古を深めることが大切と思います。ここに日本の芸道に共通する「型より入って、型より出る」考えがあり、武道の稽古も同じと考えます。

そして明らかに武道と違う点あります。書道は技術を超え感情表現する世界とするならば、武道は心技体に蓄積したものを、消して無くしてしまう世界です。不動心不動体不動剣、見えない・感じないものとするからこそ、「争わずして勝つ」のです。「勝つ」が「克つ」になって「争わずして克つ」となれば、人として生きる道です。「欲望」・「病気」・「誘惑」・「己」に克つのです。

 
意心形心

このような経緯ありまして、子供と白帯会員向け楽心館のテキストを作る時、最初から名称を意心形心(いしんけいし)とすることに決めていました。

意心とは、心意気を、心を込めて養う

形心とは、技の型や身形(みなり)を、心を込めて錬り込む

楽心館は、「氣と丹田の合気道」と称し、養気錬丹を修錬しています。そしてこれは武道のみならず、人として日本人としての学びも「意心形心」であってほしいと思います。次世代を担う子供たちは、国の宝です。青少年にこそ意心形心の学びで、武を通した人の道を歩んでいただきたいです。

二本目の矢 本人のやる気

K子さんは姉妹で、指導員の担当する千葉市内の道場へ通っていました。病気治療に専念するため、お姉さんは程なく退会されました。最初は積極的ではなく、仕方なく参加している様子でした。私は正直のところ、このお子さんはいつまで続くだろうか?そう思って、指導員の報告を聞いていたものです。

11月21日に会ったのは、二年ぶりのことです。審査を受けるために、本部道場の稽古へ参加しました。そしてK子さんのご成長ぶりに、驚いたとしか言い様ありません。その時の会話を再現します。

私 :「大きくなったね?もう6年生だ?」

K子:「お久しぶりです」と、ペコンと頭を下げる。

私 :「今度は中学生、部活動は何に入るのかな?合気道は続けられなくなっちゃうね?」

K子:「(合気道は)ずっと続ける。途中でやめたら、意味が無くなっちゃう。奥深い道だから」

私 :(えっ?いったいどうしたの?そんなことを言う子ではなかったのに?)そんな目で、付き添いのお母さんの方を見ました。

母 :私の目の意味をすべて理解したのか、笑いながら「そういう子に、なったんですよ」

私が以前知るK子さんは、埋火のような時期だったのかと思います。

埋火というのは、炉や火鉢の火が不要のとき、あるいは睡眠の間、火持ちをよくするため火種の炭を灰で覆っておくことを埋火といいます。酸素が十分回らなくなり火力が落ちて炭が長持ちするのです。わずかな火のため螢火ともいうそうです。
こうすると火の持ちがよく、火種を絶やさないための先人の知恵です。私の祖父がタバコに火を点ける時、火鉢の灰の中の埋火を探していたのを、思い出しました。

K子さんのお姉さんはとても残念な事情で退会し、自分一人が取り残される形で、合気道を継続しました。当時のK子さんは、合気道を続けることの意味も楽しさも、なかったと思います。それでも仕方なく黙々と稽古へ通っているように見えても、心にやる気が埋火のよう燃えていたのです。

三本目の矢 保護者様の支え 

1、保護者様が、お子様の教育目標・方針を持つ。

2、その中で合気道の継続が、担保できる部分はどこか?現実の指導が、そこに合致しているか?

3、お子様が1・2の環境を与えられ、稽古に違和感を抱いていないか。稽古に行くことが、生活の中で当たり前のように、受け入れられているか。

三本目の矢 保護者様の深い理解と支え無くして、お子様の稽古の成果を出すことは、困難であると考えます。

坦々と楽心館「意心形心」の指導に徹した指導員・K子さんの埋火のようなやる気・我儘(わがまま)を言わせずに通わせたご両親様の想い、この三本の矢が働き合ったのでしょう。K子さんが思春期を迎えた時、埋火が種火となって、道を切り開く心意気の炎を上げたのです。

指導させていただく我々は、お子様を預からせていただく重責を再認識し、さらに精進いたします。


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