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無分別智から見る、内なる敵 [素心]

 お子様の無分別心に、心打たれる。こうしたことこそ、稽古指導の楽しみです。

 無分別とは一般に、「思慮なく軽率なこと」を意味します。しかし仏語としては無分別智として、「対立を超越した絶対知性」を意味します。自他の区別がないとか、美醜の区別がないとかです。お子様の穢れなく・膜のない心が、ほぼそれと思います。

 稽古指導の時、お子様純真無垢な心に触れたとき、この仕事をさせていただく幸せを実感します。

 相手は小学校低学年のお嬢さんです。技を修錬をしている時、「先生はここ以外も、指導してるのですか?」と聞いてきました。その日その場所は、昼の出張指導を5時間半した後、車で移動して夕方の2時間半指導の中の一時間目でした。私は「そうだよ?他にも行っているよ。」と答えました。

 すると彼女は、「それでは、お身体も疲れているでしょうから、温泉でも入ってくださいね。お父さんも温泉に入った時、喜んでいましたから」と言います。ただそれだけのことです。なんとも優しい、そのいいように心打たれました。

  この優しさに、二つの無分別智あります。一つは、人の疲れを自分の疲れと、区別なく知ることです。一つは、お父さんと他人の合気道の先生を、区別なく知ることです。いったい私に、このような無分別智から優しい心を、かけていただくような資格あるでしょうか?考え込んでしまいます。私は真逆の自己中心的人間だからです。

  無分別智から見ると、内なる敵は自己中心です。稽古では日ごろ、正中線と中心線を会得すべく、鍛錬しています。それが自己中心的人格に陥ったのであれば、ミイラ取りがミイラになったようなものです。でも人間ですから、無分別智から見た自己中心を、相対化して生きています。

  でも残念ですが、一流の業績を残しながらも、内なる敵に負ける人もいます。日本大学アメリカンフットボール部の監督・レスリング女子のコーチです。お気の毒です。人格の執拗さ、反省が見られません。他山の石として、注意したいと思います。



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